VOICE OF
(BOSAI) ACTION
過去の宿泊先支援者

QUESTION VOICE

防災など有事において民泊を利用して新たなアクションを実行している人に、BOSAI VOICE制作チームが気になることを聞いていきます。

ADVICE VOICE

河西紀明(のりあき)さん

石川県加賀市在住。2013年より古民家ゲストハウス「黒崎BASE」を設立。今年1月1日に発生した能登半島地震の翌日には、民泊を2次避難先や物資受け取り場所として提供する「YADOKARI(やどかり)プロジェクト」を立ちあげ、いち早く支援に着手しました。

今回の能登半島地震で実施した、民泊の利用って?

民泊を利用した「YADOKARI(やどかり)プロジェクト(以下、やどかりプロジェクト)」は、能登半島地震の翌日には始動し、被災者や帰宅困難者の無料の受け入れ支援に着手しています。どうしてこのような迅速な対応ができたのでしょうか?

もともと民泊を災害を含めた有事の際に役立てるアイデアがあったのでしょうか。

*YADOKARI(やどかり)プロジェクト
民泊×生活支援のプロジェクト。民泊を活用し、被災者への宿泊施設の提供・食事や物資などの生活支援を実施している。
避難施設が必要な被災者の応募と、受け入れの先の2次避難所施設として貸し出せる民泊施設を全国から応募し、マッチングして提供。支援物資の管理センターとしても民泊を利用する。
無料の避難所提供に協力する民泊事業者は同県内に留まらず、神奈川県、熊本県、京都府、北海道までにわたる。

民泊を大雨や台風、地震などの災害のときに利用するというアイデアはずっとありました。

父親が元公務員で、平成19年の能登震災の際に「のと里山海道」の復旧公共工事などを担当する公務にあたっていたこともあり、災害への対応において行政が動けるところ・動けないところがあることを身近に知っていたことが前提
にあります。

近年、石川県で大きい地震がいくつかあり、民泊にできることを考えるようになりました。都心でない・アクセスのよくない場所で地震が起こり、さまざまな機能麻痺がでた場合に必要となる対応は、たとえば東日本で起きた震災の対応とは異なります。
県内の民泊事業者仲間に被災地の状況を聞きながら支援をするなかで、あぶれた被災者や要配慮者の方々にはどのように対応していったらいいのか、自分たち民泊事業者にできることはないか、そういった課題が僕ら民泊事業者の間であがるようになっていたんです。

一般企業は公益性をもとめるので「どのタイミングで」「どこに」支援するか、そういった意思決定に時間がかかります。そこに、民間で立ちあがっている民泊が、たとえば大雪があったとき・台風や地震があったときに、駆け込み寺のような「分散的シェルター」として活用できたら、ホテルや旅館とはまた違った動きかたができるんじゃないか。要配慮者、大家族、お子さんのいるかた、ペットのいるかた、高齢の家族がいるかたなど、決まった一箇所に避難するには条件が特殊となる人たちが「自主的に避難して、避難生活を整える」というのにもマッチする。そんなふうに県内の民泊事業者や全国のホームシェアリング関連団体、JAMTA(民泊観光協会)*の人たちと具体的に話しを進めていて。

*JAMTA(Japan Minpaku Tourism Association、民泊観光協会)
全国の民泊事業者と、民泊活用において国や自治体と連携し、ルールづくりに働きかける一般社団法人。


ある程度の明確な構想があった状態で、今年1月1日を迎えました。できる範囲で原案を急いでつくり、それまでアイデアや考えを共有していた人たちに声をかけ、迅速に連携して実現したのが、やどかりプロジェクトです。

民泊を活用した支援を実施するまで。実施からわかったことは?

今回の民泊の活用において、どのようなシステム・機能面を整えたのでしょうか?
また、実際の支援実施を通じて見えてきた課題ではどんなものがあるのか、教えてください。

まず、難しいのが「継続的な支援」です。大前提として、支援者も被災者なんですよね。自分にある程度の余裕がないとそもそも支援自体が本来は難しいなか、「なにかしたい」「してあげたい」という思いのもと動いてくれる人も多くいます。それでも、2週間・1ヶ月程たつと、体力的・精神的にも辛い部分がでてくる。「やっぱり難しいです」といった人が重なったときは大変でした。

支援をしたいと思い、動くこと自体は本当に素晴らしいことです。でも、それを持続可能にするにはちゃんと整わなければならない部分がある。途中ではしごを外されるのが、被災者支援において一番つらいことでもありますから。

この支援の持続性に直結する、最も重要だったプロセスが、協力してくれる宿泊施設の方たちに補助金を受けとる流れを案内してオンボーディングしていったことです。
「安心してください、1人あたり/1泊あたりのいくらかの補助がでます」と明確にしながら、それぞれ自分たちで宿泊施設を県に登録してもらい、最終的な実績を報告して補助金を受けとってもらう、この流れを整えました。ここが一番大変だったかもしれません。

あとは、被災者と2次避難先としての宿泊施設とのマッチングです。個人情報の取り扱いを整え、チェック項目をつくって要望を聞きだし、受け入れてくれる民泊との調整・マッチングまでを人力でおこないました。

ここで見えてきたのが、行政のかたがたの民泊というものへの解像度がまだ低いこと。提供できる施設に対して「それはちゃんとした宿ですか?」といった質問もでるほど。ひとくちに民泊といっても、たとえば金沢とそれ以外の地域にある民泊だと環境も構造も違います。「民泊にはこういうバリエーションがある」「こういう受け入れかたがある」という事例を実際にみせられたのはとても大きい。今後に繋がる一番の結果です。

もう1つ今後に活かせる学びとしては「宿泊施設の周辺の環境」についての問い合わせが多いということ。生活感や環境がわかって、そこに住むことをイメージできるかどうかが重要になってくることがわかりました。平時の宿泊を目的とする場合とは異なる点です。民泊周辺の状況については、やはり地域との関係性がしっかりした民泊が説明できる部分になってくると思います。

被災者の受け入れ先だけじゃない?民泊の活用方法

今回の支援で、支援物資のハブとしても民泊を利用していますよね。避難先・避難生活を送るに留まらない「民泊の活用」について、教えてください。

僕が運営する「黒崎BASE」をはじめ、民泊を支援物資の管理センターとして活用しました。
Amazon(アマゾン)のウィッシュリストによる物資支援の調達*と、Amazonの余剰分の物資を1次受けするという二軸での支援を実施しました。黒崎BASEを拠点として物資を受け取り、取りにきたかたに分配するとい
う流れです。

*「たすけあおうにっぽん」アマゾンジャパン政略対策本部の施策

今回の能登半島地震で、農家さんから被災者支援でナマモノをふくめ足のはやいものを送ってもらうこともありましたが、届くまでに腐ってしまう。そういったものを民泊をハブにして分配することも可能です。

いまはスマホがありますから「水があるかどうか」というよりも「どこに行けば水があるのか」を知れることが重要になります。隣町に水があるかどうかを察知できるほうが効率的で、生命に直結するところがあります。必要な情報を獲得できて、動ける人が自主的に取りに行く。地域のリーダー的な人がおのおの自発的に立って、物資が過剰にあるところから足りていないところに供給する。これはいわば性善説的なことなんでしょうが、日本の民族性あってこそできるところもあると思います。もったいない精神もありますしね。物資支援の調達・安定供給はなかなか難しい、だったら、町同士・地域同士で協力して自主的に動いて受け取る。分配する。そういった考えに基づいた支援の仕方です。

ただここで「置く場所」には困るわけです。公共の行政や民間の営利企業が管理するとなると「誰が管理するんだ」ということにもなる。かといってよそのボランティア団体が急に間に立つと地域内でハレーションも起こりえる。この「物資の分配」の拠点としても民泊は筋がいいんです。

民泊の運用モデルとして、単純にゲストのおもてなしだけじゃなくて社会的に機能するデザインパターンを抽出してさまざまな地域で転用できるとすれば、いろいろと可能性はありますよね。

地域との関わりのある民泊だからこそできること

「民泊=泊まるもの」という固定観念からでてみると、民泊の可能性が見えてきますね。
それぞれの自主性をもって機能していくこと、防災や避難生活での対応のノウハウが地域に蓄積されていくことは、ある意味でのインフラ的なものにもなりえそうです。

地域の環境、地域との関わりに独自性をもつ民泊の利点とは、なんでしょう?

民泊のスペックは、地域によってグラデーションがあるというところです。都市部に近い地域での受け入れと、僕のいる加賀市というちょっと郊外の落ち着いた地域での避難生活の受け皿としての民泊は、ニュアンスが違ってきます。

たとえば加賀市は、金沢に比べて駐車場が多いんですね。なので、少し離れた土地にいる人が
、車を運転して自主的に避難してこられる。また、人をたくさん収容できるという点。親戚が集まることも多いので、たくさん人が集まるということにもみんな慣れている。被災者が一気に押し寄せたときにも「地域で対応する・支える」という構造が取りやすい。これも田舎の民泊ならではだと思います。

都市部が1次受けだとすると、僕らのような田舎は次の生活に向けた2次受け。そんな民泊の役割分担をふまえたハザードマップなんかもつくると、より機能するでしょう。

郊外や田舎では、半年・1年・2年といった中長期の復興を見据えながら、民泊で3ヶ月ほど受け入れて新しい生活への移行をサポートしていくといった、シェルター的な役割が期待できます。

今回の経験を通して実感した民泊の可能性や、今後さらに取り組んでいこうと考えていることはどんなことでしょう?

まず、防災に力を入れることによって、平素の民泊運営においても地域との関係性が強まるということ。「外からきた人を泊める」のみが目的の民泊よりも、「有事に貢献する」という存在の民泊に対しての方が、地域の人が抱く関心・感情、そして信頼も変わってくるからです。民泊のオーナーが、いわばシェルターの長のような役割で、普段から防災意識を高める・促すこと自体が地域との関係性を強固にするための手段としても機能するというのは、もっと押していい。

関係性を強めておけば、もし次になにか起こったときに意思決定のスピードも変わってきます。支援活動をする民泊のオーナーさんが「周りから支持されている」と思えることも、持続的な支援活動への意志に繋がってくるはずです。

また、今回の震災を通して結束を強めた民泊事業者さんたちも多いです。普段から「なにかあったら連携しよう」との意思疎通ができていることは大きい。地域における民泊事業者コミュニティリーダーというのも、そういった観点からも重要な存在になってくるでしょう。

これからは、震災が起こったときのノウハウをほかのところにもどう提供できるか、どう転用できるか、というところを特に考えています。日本ほどの震災大国もないわけですから、いろんなパターンを抽出してよくしていく、ということもやっていけるといいですよね。

民泊を活用できるかどうかは、復興事業やそれゆえの地域経済にも関わってくる。つまり、その後の地域のありかたに大きく関わってくることだと思っています。

ADVICE VOICE

河西紀明

東京の事業会社に所属する現役のプロダクトデザイナーという側面をもちながら、家業として2013年より古民家ゲストハウス「黒崎BASE」を設立し、民泊事業を起点とした地域産業やデジタル雇用の創出などに従事。令和3年(2021年)の発生した能登半島地震の災害ボランティアに経験、金沢市で開催されたシビックテックハッカソンの参画を期に本企画を実施。